弁栄上人は
こんな人
About
Bennei Yamazaki
山崎弁栄上人(1859−1920)は明治・大正期に活躍された浄土教の僧侶です。
「南無阿弥陀仏」と称えることは、死者へ捧げる呪文と誤解され、または死後の救いのみであると誤解され、なんだか悲しくて、暗い言葉のように思われていることがあります。上人はそのような誤解を払拭し、今ここでの私達の日々の生活と心持ちが、より清らかに、より喜びに、より明るく、より正しいものになっていくための「南無阿弥陀仏」であることを強調されました。もちろん、この世を去るとき、究極的な救いへと導かれていくことも強調され、人生最大の恐怖・苦しみ・悲しみ・絶望である死が、極楽(極めて楽しみな目的地)であることを説かれるのです。
弁栄上人は、お釈迦さまへの尊崇の念が非常に深く、明治28(1895)年にお釈迦さまの活躍されたインドへ渡りその聖地を巡礼されました。インドに当時の日本人僧侶が参拝することは非常に稀なことでした。また、27歳の時にはお釈迦さまの説かれたあらゆる教えが網羅されている一切経(7334巻)の読破もされたのでした。その動機は、「どうすれば現代の人々を光明の中へとお誘いできるか」、そのご相談を一切経を通してお釈迦さまにされているのです。それは、同じく読破された浄土宗の宗祖、法然上人を模範としてのことでもあります。
また、明治・大正という慌ただしく政治や価値観など、あらゆることが変容した時代、また自然科学や西洋の哲学、そしてキリスト教の教えが怒濤のごとく流入したその時代に、そこにも真理があると受容し法を説かれたのでした。そのような方ですから、上人を尊敬し慕う方は仏教者のみならず、神父さまをも含むキリスト者、また神主様など、宗教・宗派を超え多くの方に慕われ尊敬されています。この上人の教えが現代の混迷と苦悩の光となり、また宗教が争いではく親和へと進む先駆者として評価されはじめています。
