浅井(法順)師は熱心に上人の所説を聴いていました。その後、随行の大谷(仙界)師が祖山の一室に浅井師を訪ねたところ、上人ご染筆の三昧仏が掛けてありました。その時浅井師の曰く、「弁栄上人は実にありがたい尊い方だが、あれで日課数珠でもつまぐって、常時不断に称名しておられるなら、なお一層宗門の大徳として、ありがたいのだが」と。ずっと後になってこれを思い出し、かくかくであったと上人に申し上げると、上人「弁栄が念仏せぬというのは、丁度釈迦が修行せぬというのと同じだ。弁栄も口称念仏を盛んにやった頃は一日十万称くらいはやった。今はそんなにせんでも、いつでも仏と一緒だで、以前の念仏に比してよほど今の念仏の方が楽だ」(『日本の光』346頁)
また、別の文献にも同様の問いかけがあります。その回答は若干ニュアンスが異なっています。
弁栄上人「自分は念仏申さぬではない。一時は一日十万位の称名を実践した。百日間、日夜休まず申した事もある。ある時は小便が熱のために真赤になって血の様になった事もある。しかしその時は今程の喜びはなかった」
(『ミオヤの光縮刷版第2巻』438頁参照)