弁栄上人に影響を受けた人物

弁栄上人高弟 山口常照

「弁栄上人との巡り会い」 山口常照

私が弁栄上人に巡り会ったのは大正5年(1916年)2月、渋谷の日本赤十字病院に入院している時初めてお目にかかった。この時はインフルエンザから肋膜(ろうまく)となり入院して急性肺炎を起し、ある朝回診の時、看護婦長が私の受持の看護婦にヒソヒソ話で
「山口さんは悪性の肋膜に急性肺炎で、熱も40度からあって重態だから気をつけよ」
と注意したことを耳にしてしまった。さあ重態、危篤、死を連想して、死刑の宣告を受けたようなショックを感じた。
私は宗教大学入学について土屋上人の御世話に預り、人生に宗教上に啓蒙を預り、求道生活に励んでいた頃で、信仰もいくらか開発せられ、進んだように自負していた。そこへ死の宣告である。第一死を思う時、昔の高僧方のように泰然自若として死ねない。死にとうない、死にとうないの苦しみで、死の一発の空砲で信仰は崩壊し、空虚になってしまった。
これが第一の悩みで、第二は宗教大学予科も後2カ月で卒業、そして本科が待ちかまえているのに、おめおめと死なねばならないのかと悩み、第三はそれに年寄れる父母もあり、師匠にも土屋上人にも恩報じも出来ず死ぬとはなさけないと苦悩に陥ったのである。その苦悩の最中に、見知らぬ一風変った坊さんが訪ねて下さって、

「山口さんですね、山崎弁栄です。今日は赤十字病院に真鍋中将を化導かたがた見舞に行くと言ったら、土屋上人が、山口君も赤十字に入院しているから、ちょっと様子を見て来て下さいとの事で御伺いした訳です。御機嫌はどうですか」

と申されるので、私は今の苦悩を打ち明けて救いを求めました。上人は、

「山口さん、あなたは三つの悩みの中、信仰的に悩んでいられるのが第一問題ですね。あなたの信仰は覚者とあだ名を言われる程であったそうだが、如来の命やお光の念仏でなくして、観念の念仏であり、信仰も概念に過ぎなかったのではありませんか。死を前にして安んじて死ねないのも、命の念仏でなかったからではないでしょうか。命の念仏に生きる、今こそ誠によい機会です。元祖様は「一文不知の愚鈍の身になして、智者の振舞をせずして唯一向に念仏せよ」と仰せられた。今までの観念や概念の信仰が死の一発の空砲によりて失われ、空虚になりて悩んでおられるが、その空虚になった事は、愚痴に還ったところです。愚痴になった事は、命の念仏に甦るまたとなきよい機会です。
観念の念仏や概念の念仏では泰然自若としては死ねません。死にとうない死にとうないと苦しむのは、如来様の永遠の命を得んからです。永遠の生命を得れば、死線を越せるから安んじて死せると思います。
如来様の御存在も念仏も、観念や概念ではありません。如来様は、今現に生きてここに在します。死にかけて居るあなたが、まだ生きているのは、生きた如来の御力と御恵によりて、活かされて生きてるのです。解りますね。生ける如来様を信じてお慕い下さい。今生ける如来様の十念を授け度いと思いますから、疑う事なく、如来様の生かし給う力を思い取って、念仏してお受け取り下さい。如来様はもし生かす能わずば正覚を取らじと誓い、必ずや摂取して捨てずと生かして下さいます。魂から魂への生きた念仏です。しっかりお受け取り下さい。」

と申されて「南無阿弥陀仏」(上人)、「南無阿弥陀仏」(私)と厳粛なるお十念を授与して下さいました。お十念を終えて余韻の念仏をしていると、生ける如来様が今現にここに在します事を信ぜざるを得なくなり、如来在せばこそ念仏が申せるのだと、念仏も生き生きして参りました。観念や概念の念仏が、大宇宙生命の如来に甦ったのでしょう。有難うございました。

お念仏のお蔭と言うか、その功徳によりて一命が助かった気がしました。それからお上人は更に言葉を続けて、

「あなたは大学予科2年の卒業出来ないことをくやしがっておられるけれども、如来は今現にここに在します事が信ぜられ、この命の念仏、お光の念仏が唱えられたら、大学の卒業証書なんか、そう価値のあるものではない。卒業証書を何枚も頂くよりも、生きたお念仏を得た事がどれ程尊い事か。証書なんか問題ではありません」

と仰せられたので、有り難く肩の荷がおりた気がした。更にお上人は、

「あなたは親や師匠に恩返しも出来ない事を嘆いておられるけれども「恩を棄てて、無為に入るこそ真実の報恩なり」という事を知っておりましょう。それ、あなたの報恩観念は誠に善い事だけれども、その報恩をする以上に、無為に入る事は価値ある事にして、無為に入るとは、命の念仏、如来の光明を頂く事である。故に無為に入る事は真実の報恩なりと釈尊も申されているのである。久遠の弥陀を信じ慕って、生きた念仏する事程大切なことはない。」

とご教示下さいました。またしても片方の肩の荷が下りた感じに打たれ、ほんとに有難かった。やがて病人に長居は無用とてお帰りになりました。その後姿の尊さをただ拝むより外なかった。お帰りの後も静かに黙称して瞑想するのであった。その時、

死するとは我は思わじ南無阿弥陀 永久の命に生きる嬉しさ

と歌った。今自分は赤十字病院の病棟にある。病棟は東京にあり、東京は日本に在る。日本は地球の中に在る。地球は太陽系宇宙の中にあり、しからば自分は白いベッドの中、大宇宙の中に寝ている。考えれば、大宇宙と我とは不二にして一体である。我は大宇宙の生命の中に生かされている。あの苦悩も忘れてかくの如き考えに一変した。あの重態の肺炎も軽くなり、助膜の水もとれて、日増しによくなり、医員殿も意外に早く癒ったと驚かれる程で、(大正5年)6月には退院する事が出来た。

(山口常照著『光生図鑑』14頁~参照)