過酷な修行時代

弁栄上人が出家して東漸寺へ入られた当初は下男役まで勤められ、広い境内の掃除から本堂庫裡の掃除、さらには飯たき、風呂わかし、全て真剣な態度で働き、しかも夜間おそくなっての勉学。
したがって眠られる時間は僅か2時間位であったという。それでもぐっすりねむるから、若い時はそれで充分であった。もちろん眠って夢など見るようなひまはないと弁栄上人は語っておられた。

(『ミオヤの光縮刷第2巻』451頁参照)