弁栄上人は布教のため、日々空いた時間や夜遅くまで、書・仏画を描かれていました。
数多くの作品の中から一部をご紹介いたします。
観智院所蔵
伝弘法大師作「空海のこころのうちにさく華は 弥陀よりほかに知る人はなし」
法然上人作「あみだ仏というより外は津の国の なにはのこともあしかりぬべし」
弁栄上人は少年期よりゴマや米に細字や絵を好んで書いておられ周囲の大人を驚かせていた。僧侶となった弁栄上人は米粒に、弥陀三尊や十六羅漢、『般若心経』に『一枚起請文』など、多種多様の書画を書き、その米粒が今も全国至るところの遺跡地にて大切に保存されている。(それらは『山崎弁栄上人百回忌記念遺墨集』に掲載されている)その中で最も多く染筆されたのがこの米粒に「南無阿弥陀仏」と書かれた米粒名号である。これを多くの人に施与され、その数は数百万粒に及ぶであろう。そんな弁栄上人は時に米粒上人と呼ばれ民衆に親しまれていた。ところが側でお世話をしていた僧が「世間の人はただ米粒に名号を書いたり、両手同時に別の書をかく、奇人のお坊さんとのみ思い、大切な仏の教えを説く障りになっています。米粒名号などやめられてはいかがですか」と。その真剣な問いかけに対して、弁栄上人もまた真剣に「いやそうでない。人には口はあるけれどもなかなか南無阿弥陀仏と称えない。ところが、その米粒をじっと見つめその文字が読めた時、「南無阿弥陀仏」と読むであろう。その一声が中々大切な仏縁で、それをご縁に如来様は救って下さる。今生でなくともまたいつかの生に救いくださるのですよ」とお答えになられた。
<出典>『寒山詩』「一六七」
一自遁寒山 養命餐山果 平生何所愁 此世随縁過
日月如逝川 光陰石中火 任你移天地 我暢岩中坐
ひとたび世間から離れ、寒山にて山の実を食べて命を養っている。その日々の生活は何の愁いもない。この世は縁に従って過ぎていき、月日は川の流れのようであり、その時の流れは火打ち石の火のよう〔ほんの一瞬の儚いものなの〕である。〔そのように世情の事や月日、そして〕天地が移ろいゆくなか、私は穏やかに岩の上に坐している。
墨の潤渇が明確で、独特の書風であるこの書は、表題の通り、指の先(頭)を筆として揮毫されており、弁栄上人の指紋まではっきり確認できるものもある。三昧発得という深い境地に達せられた弁栄上人は、自身の体験と符合するこの寒山の詩を心から悦ばれたのであろう。この『寒山詩』の指頭書を多く揮毫していることからも、この寒山の歌に共鳴し、悦ばれたであろうことが伝わってくる。
上人は「山に入って一心に念仏しなさい。美味しいものを食べて、畳の上でやっては暇がかかる。人を導くにはそれくらいなことは堪え得られねばならぬ」と激励しているが、また一方で「山に入らねばならぬような教えは駄目です。仏法は心にある。垢を落とせと云っても、皮膚まで落とす必要はありません」と対機説法されている。修行の環境を選び、整えていくことも大切ではあるが、それは目的ではなく、その人に適した場所を選べばいいのである。大切なのは、真実を求め修行に励むことである。
<出典>『寒山詩』「一六八」
我見世間人 茫々走路塵 不知此中事 将何為去津
栄華能幾日 眷属片時親 縦有千斤金 不如林下貧
私には世間の人が〔人生の意義を〕理解せず、ただ盲目的に東奔西走し、塵や埃をまき散らしているだけのように見える。このような無明の状態に陥っていることも知らず、〔世間の人は〕何を頼りとして人生の帰趣へと進んでいるのだろうか。栄華は、はたして幾日つづくのか。家族と親しむ時間はほんの片時であり、〔残念ながら永遠なる安らぎとはいえない。〕たとえ大金を持っていたとしても、林の下での清貧〔修行する者の心の喜び〕には遠く及ばない。
弁栄上人の御遺稿『不断光』に、この『寒山詩』の用語を用い、同様のメッセージを伝えている。「懶惰の為に終身貴重の時間を浪費し、茫々として路塵に汚され、意は徒らに世の為に翻弄せられ、斯く茫々冥々の裡に日を卒え年を積みたるもの、而して後に斯正義の光明の覚醒したる時は此浪費したる時間と精神の為にいかに悔ゆるならん」と。怠って貴重な時間を無駄に過ごしてはならないこと。そして、世俗に翻弄されるのではなく本当に大切な「光明の覚醒」のためにこそ人生の意義があることを述べている。
この特殊な名号に「両手同時逆筆結縁御名号」と表題を付けたが、起筆はどう見ても潤墨の「南」の字であり「仏」の字はかすれ、下の「仏」の字から逆筆されたものとはいえず疑問に思うであろう。しかし、この御名号はそういう意味での逆筆ではない。普通に染筆するのであれば、この紙面の下側に坐し、もしくは立ち筆を走らせる。ところが、筆者である弁栄上人はこの上側(逆側)に位置し、「南」の文字より左右同時に筆を走らせた逆筆のお名号なのである。
六十回忌の『遺墨集』の中に、同様の作品が掲載されており、編者である山本空外上人の解説に「朝参りなどのとき参詣者に結縁のため、半紙を各自に持たせて両手同時逆筆され」ていたと記されている。つまり、紙面の上側に弁栄上人、下側に結縁の方がいて揮毫された作品なのである。