第一章 献身の祈願文
至心に帰命す 法身、報身、応身の聖きみ名に帰命し奉る。三身即一にまします、いと尊き唯一の如来よ。如来のいまさざるところなきがゆえに、いま現にここにましますことを信じて、一心に恭礼し奉る。如来の威力(みちから)と恩恵(みめぐみ)とによりて、活き働らきあることを得たる我は、わが身と心との総てを捧げてつかヘ奉らん。こいねがわくは、一(いつ)に光栄(みさかえ)をあらわすべき務めを果す聖寵(みめぐみ)をたれ給へ。
如来様のみこころのままに
どうぞ 天地の大生命がわたしのものとなりますように――。
天地の大生命を身とし心として生きてまします如来様よ。あなたが今ここにおいでになることを信じて、一心におうやまい申しあげます。如来様のみちからとみめぐみによって、わたしはきょうこうしていきいきと働かせてもらうことができます。
このすばらしい如来様のいのちを感じて、わたしのありだけの肉体と、精神を捧げつくして、あなたにおつかえいたします。
どうか、きょう一日、立派にわたしのつとめがはたせますように、お育てくださいませ。
第二章 如来光明歎徳章
仏阿難に告げたまわく。無量寿如来の威神光明最尊第一にして、諸仏の光明およぶことあたわざるところなり。このゆえに無量寿如来を、無量光仏、無辺光仏、無礙光仏、無対光仏、燄王光仏、清浄光仏、歓喜光仏、智慧光仏、不断光仏、難思光仏、無称光仏、超日月光仏と号し奉る。それ衆生ありて、この光にあうものは、三垢消滅し、身意柔軟に、歓喜踊躍して、善心生ぜん、もし三塗勤苦のところにありて、この光明を見たてまつらば、みな休息をえて、また、苦悩なく、寿終の後みな解脱をこうむらん。無量寿如来の光明顕赫にして十方を照ようす、諸仏の国土にきこえざることなし、ただ、われ今、その光明を称するのみにあらず、一切の諸仏声聞縁覚、もろもろの菩薩衆も、ことごとく、ともに、歎誉したまうこと、またまたかくのごとし。もし衆生ありて、その光明の威神功徳を聞いて、日夜に称説して、至心不断ならば、こころの所願にしたがいて、その国に生ずることをえて、もろもろの菩薩声聞大衆に、ともに歎誉して、その功徳を称せられん。そのしこうして、のち、仏道をうる時にいたりて、あまねく十方の諸仏菩薩にその光明を歎ぜられんこと、また、今のごとくならん。仏ののたまわく、われ、無量寿如来の光明威神の、ぎぎ殊妙なることをとかんに、昼夜一劫すとも、なおいまだつくすことあたわじ。
お釈迦様が、お弟子のアナン様にご説なさったおことばによると、如来様のとうといことは、あらゆるみ仏の光明におよばないのであります。
如来様のお力やお徳をことばにあらわすことはできないけれども、それを十二のみ光りにあらわすと、
無量光仏、無辺光仏、無げ光仏、無対光仏、えんのう光仏、清浄光仏、歓喜光仏、智慧光仏、不断光仏、難思光仏、無称光仏、超日月光仏とみ名をよぶことができます。
私たち、生きとし生けるものがこの十二のみ光りにふれることによって三つのあかである、むさぼり、いかり、おろかさからのがれて、身もこころもやわらかになり、平和にみたされて、こおどりしてよろこびたくなるほどに、如来様のみむねにかなうようなこころにならしていただけます。
もしも、畜生や餓鬼、地獄に落ちているものでも、このみ光りにあうと、やすらぎを得て、いのちおわるとき、お浄土に救われるのであります。
如来様のお徳の尊くして、すばらしいことは、その光りかがやくようすが大宇宙にへんまんしているようすをみればわかるのであって、よく耳をすましてそのひびきをきけば、いつでも、どこでもきくことができるのであります。そして、それは、ただ、わたしがそのお徳をたたえているだけでなく、あらゆる仏やみ仏の説法をきいてさとりを開いた聖人や自ら思惟して大我にめざめた人たちも、この如来様の大生命、大人格をおしたいしないものはないのであります。
もしもわたくしたちが、そのお徳の尊いことをきいて、天地の大生命と一つになろうとするならば、まごころこめて、如来様のみ名をたたえ、たえまなく念仏をつづけていけば、自分のこころに願っていることは、どんなことでも、かなえられないことはないのである。
そして、あらゆるみ仏やぼさつたちとともにその人格をたたえられるであろう。
そのようにして、お念仏を深めていくことによって、だんだんと如来様の大生命によってお育てをうけ、如来様のきよらかな生命がやどり、そのお世つぎとならしていただきますと、あらゆるみ仏やぼさつたちから、その光明をほめたたえられることになるでありましょう。
み仏のおっしゃるには、わたしが、この無量寿如来様の光明がすばらしいこと、すべてにぬきんでていることをどれだけときつづけても、ときつくすことができないほどであります。
第三章 勧請の祈願
至心に勧請す 三身即一にまします如来よ。 如来のみからだはいまさざるところなきがゆえに、今わがからだは、如来の霊応をやどすべき宮(みや)なりと信ず。もろもろの聖者のこころにいまししごとく、常にわれらがこころにあらせたまへ。今やおのれが身をささげて至心に如来の霊応を勧請し奉る。 霊応とこしなへに、わがこころにましまして、転法輪(たかきみちびき)をたれたまへ。
天地の大生命にまします如来様は、いつでも、どこでもおいでにならないところがありません。
いま、わたくしのこのからだも、如来様のとうといご本尊をおむかえ申しあげるところと信じております。
どうか、あらゆるいにしえの聖者たちが完成された求道にならい、わたくしの修行をおこたることなく、すすませてくださって、如来様のお世つぎとなるような立派な人格をことごとく完成させてください。そして、どうぞ、この身、このこころをあなた様のおやどりあそばす、ごてんのような、すばらしいものにしてくださいませ。
今こそ、わたくしの身もこころもささげて、一心にお念仏を申し、如来様の大生命と一つになって、真実のはたらきができますよう、あなたさまの、みたまを心からおしたい申し、礼拝いたします。
どんな困難や誘惑に出会っても、如来様のみこころがわたしのこころにやどって、心のどこにも苦しみがなく、ひろびろとしたこころとなり、ゆたかな身体でことにのぞめるようなおみちびきにあずからしていたたきとうぞんじます。
第四章 十二光仏讃礼
至心に讃礼す 南無無量寿仏 本有法身阿弥陀尊 迹を十劫に垂れ在し 本迹不二なる霊体の 無量寿王に帰命せん
アミダ様よ あなたはもともと この世にましました。
生みの親にまします如来様
救いのオヤ様にまします如来様
教えのオヤであらせられるみ仏よ
あなたは、この世に如来の大慈悲をしらせるために、人間の姿となって、わたくしたちをおみちびきくださいました。
もともと一つにまします あなたの清らかな、おすがたに、身も心もささげ、こう大なお徳をおしたい申し上げます。
南無無量光仏 十方三世一切の 法報応の本地なる 独尊統摂帰趣に在す 無量光を頂礼す
如来様はわたくしどもの真実の生みのオヤ様であります。
わたくしどもは如来の子でありますゆえに如来様のお育てにより、この大宇宙の広大な備えをもって、養い、教えられ、仏としてくださいます。
この尊くしてただ一つのみおやを心からおうやまい申しあげます。
南無無辺光仏 如来無辺の光明は 四大智慧の相にて あまねく法界照しては 衆生の智見を明すなり
如来様のおすがたは広大にして、まどかな鏡のような大智慧にましまし、一切をきこしめし、一切をしろしめし、一切をみそなわしておいでになります。
大宇宙はすべて如来のものであって、この無限のみ力を知り、神秘のひびきにとけ合うことによって、大宇宙、如来のみこころがそのままわたしの心となって、如来様の真実の智慧をいただかしていただきます。
南無無礙光仏 如来無礙の光明は 神聖正義恩寵の 霊徳不思議の力にて 衆生を解脱し自由とす
如来様よ、あなたのみ光りは、この、大宇宙すべてにわたって照らし給う、わたくしたちの暗い心もあかるくしていただき、正しい判断と良心をもってことにあたり、あなたのみ旨のままに実行させてくださいます。
さえざえとして、すがすがしい神のみこころにふさわしい人格をおつくりくださいます。
あなたは、わたくしたちのあらゆる束ばくをときほぐし、真の自由を得さしてくださいます。
南無無対光仏 絶対無限の光明に 摂化せられし終局には 諸仏と等しき覚位をえ 大般涅槃に証入す
如来様よ、あなたの絶対にして無限のみ光りにより、寸分のくらいところもなく永遠の生命を得さしてくださいます。大我にめざめ大宇宙がはっきりはっきりと自己のものになり、大いなる覚りの境地に入らしていただくことができます。
南無燄王光仏 衆生無始の無明より 惑と業苦の極なきも 大燄王の光にて 一切の障り除こりぬ
如来様よ、わたくしたち生きとし生けるものは無明によって、惑いと業と苦のくりかえしにより、鬼のような心となり、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上と六道を輪廻して、はてしがありません。
しかるに 如来様の大いなるみ光りにこれらのおそろしい心をやきつくされ生死輪廻の根本をたちきっていただくことができます。
南無清浄光仏 如来清浄光明に 我等が塵垢は滌がれて 六根常に清らけく 姿色も自づとうるほるれ
如来様よ、あなたのみ光りはきよらかにして照りかがやいています。
わたくしたちのよごれた心を洗い清めて、感覚を浄化し、いつの間にか、どんなものをみても美しく感じ、どんなところにいてもよごれにそまらないようにならしてくださいます。
そして、身もこころも自然にうるおいのあるものにしてくださいます。
南無歓喜光仏 如来歓喜の光明に 我等が苦悩は安らぎて 禅悦法喜微妙なる 喜楽極なく感ずなり
如来様よ、あなたのよろこびの光りを身にうけて、わたくしたちの、なやみは安らぎをおぼえ、お念仏三昧のよろこびによって、あなたの法楽をわが法楽とし、心から法をよろこぶ身とならしていただきます。
南無智慧光仏 如来智慧の光明に 我等が無明は照らされて 仏の智見を開示して 如来の真理悟入るれ
如来様よ、あなたの光明はわたくしたちの心の知力を照らし、明るくしてくださいます。わたくしたちはどうかするとこころがくらやみとなって、大いなる天地の大生命を見失っていますが、如来様の智慧の光によって、無明の闇黒を破り、如来様の悟りを自分の悟りとならしていただき、真実の自己に目覚め、無限の大宇宙が自己のものとならしていただきます。
南無不断光仏 常恒不断の光明に 我らが意志は霊化せば 作仏度生の願みもて 聖意あらわす身とはなる
如来様よ、あなたはたえまないみ光りをもって、わたくしたちの意志を如来様のみむねにかなうものとしてくださいます。
そして、ますます修養して如来様の世継ぎとならしていただきたいというこころがおこり、少しでもこのよろこびを多くの人々にわかち与えたいというこころになり、如来様のみ心を体現する身とならしていただきます。
南無難思光仏 甚深難思の光明を 至心不断に念ずれば 信心喚起の時いたり 心のあけとはなりぬべし
如来様よ、あなたのはかりしることのできない光明を、わたくしは一心に念じ、あなたの大生命に触れたいとたえまなくおしたい申しあげます。
どうかあなたは、このわたしのこころの闇をうちやぶって、今までねむっていた心のまなこをゆりおこしてください。あなたのすばらしい大慈悲心に心からおすがり申し、信じ申しあげるようにならしてくださいますようにお願いします。
南無無称光仏 如来の慈光被むれば 七覚心の華ひらき 神秘の霊感妙にして きよき心によみがへる
如来様よ、あなたの慈光をこおむって信ずるこころをよびおこすことができましたわたくしは、どうかさらに、信心の花が、うるわしく、咲き香るように勤めさせていただきとう存じます。あなたの万徳円満の聖容に接し、身も心も清らかにならしていただき、あなたの大霊格によって生れかわり、如来様のおよつぎとなる身にならしていただきたいとおもいます。
南無超日月光仏 智悲の日月の照す下 光の中にくらす身は 聖意をおのがこころとし 三業四威儀につとむなり
如来様よ、あなたの大慈悲心に育てられ、あなたのお世嗣ぎとならしていただいたわたくしは、あなたの光明の中に、よろこびにみちてくらさせていただきます。
どうか、あなたの大智慧と大慈悲心をもって、いつでも、どこでも、することなすこと、あなたのみ心にかなうような生活をさせてください。わたしはあなたのみ心をみ心として一心に働かしていただきます。
第五章 進徳の祈願
至心に発願す 智慧と慈悲とにまします如来よ。おしえぬし世尊が六根常にきよらかに、みかおとこしなえにうるわしくいまししは、内霊応にみちたまいければなり。われらも完徳のかがみたる世尊にならいて、いかなるばあいにも、うるわしきをかえざることを誓いたてまつる。願わくは常に慈悲、歓喜、正義、安忍、剛毅、貞操、謙遜、真実等の徳を体し、外は怨親(おんしん)平等に同体大悲(おもいやり)の愛をもって、佗(た)にたいしえらるるように、恩寵をたれたまえ。
智慧と慈悲とをかねそなえておいでになる如来様よ。み仏の教えをひろくわたくしたちにたれたもうたお釈迦様が、あの美しいおん眼をして、身も心も清らかに、みかおがいついつまでもうるわしくおいでになったのは内にいつも如来様のたましいをおやどしになっていたからであります。
わたくしたちも、どうか、あの万徳円満のご人格をおそなえあそばしたお釈迦様にならって、いつ、いかなるばあいにあっても、すがたかたち、顔色をかえないようにおちかい申しあげます。
こいねがわくは、いつも、慈悲、歓喜、正義、安忍(やすらかにしのぶこころ)、剛き(意志堅固如何なる誘惑にもまけない)、貞操、謙遜(つつましやかにへりくだるこころ)、真実、などの徳をいただき、うらみごころもとけて、大宇宙が平等一味となり、すべてのものに、おもいやりの愛をもってたちむかえますような徳をいただき、この世の中の人たちが真にめざめたくらしができるよう、この心弱きわたくしにあなたのみ力とめぐみをお与えくださるようにお願い申し上げます。
第六章 感謝文
至心に感謝す 大慈悲にましますわれらが如来よ。 如来が与えたまえる明き光りと清きえい気と新らしき糧とによりて、今日一日の務めをはたしたる恩徳を感謝し奉る。また如来の神聖と正義と恩寵との光明(ひかり)をこうむり今日みむねにかなう務めを得たりしは全くみめぐみのしからしむるところ、深くその恩徳を感謝し奉る。
大慈悲にみちみちておいでになる如来様よ。如来様がおあたえくださった、すばらしい光りと清らかなエネルギーと、新鮮な食物をいただき、この肉体を保持して、きょう一日の務めを精いっぱいはたすことができました。
これは、あなたのご恩恵によるものでありまして、心から感謝いたします。わたくしたちはあなたのみ力によって真実の生活をすることができ、いつも良心の鏡に照らして行動し、正しい判断のもとに実行する力を得ることができました。あなたのみ心のままにわたしの務めを果すことができましたのは如来様のみ心にとけ合うことができたからでありまして、深くそのお恩を感謝いたします。
第七章 懺悔文
至心に懺悔す 法身と智慧と解脱の三徳を備え給う如来に告白し奉る。自身は現にこれ罪悪の凡夫、心のいたらざるよりして作すべからざる罪をつくり、なすべきことを怠るの罪におちいれり。これみな自からのあやまりなり、実(げ)に大いなる過(あやま)りなることを感じて、至心に懺悔し奉る。今より後は悔い改め邪悪(よこしま)を捨て正善(ただしき)につかんことを誓い奉る。 願わくは恩寵(みめぐみ)によりてふたたびあやまちにおちいることなく正しき人となさしめ給え。
大宇宙を身とし心としておいでになる如来様よ。あなたの智慧とおさとりのみ光りにより、どうぞ、このわたしの告白をおききとりください。
あなたよ、このわたしは、肉欲のとりことなって欲望のおもむくままの日暮しをして、如来様のお慈悲を忘れ、しなければならないこともわすれて、よこしまなおもいをおこしていました。
他人をあなどり、いかり、ねたみ、他人の自由をうばって、平気でいるような罪をおかしているばかりでなく、おのれに対してはごうまんで、すぐなまけ心をおこし、自分の尊い生命をいたわることを忘れて、ふまじめなくらしをつづけております。
このような、祈りの心をわすれたあやまりは、まったくわたくし自身のいたらないところからおこっているのであります。こころからおわび申しあげます。
ただ今からこのようなまちがった考えやおこないをしないようにし、これから後は少しでも正しいおこないができますように心からお誓い申しあげます。
どうぞ、あなた様の愛念によって、日々のくらしに、あなたのみめぐみを忘れず、祈念のこころをこめて、ふたたび、あやまちをおかすことのないように一声一声、一息一息の中に、あなたのみひかりがみちあふれますよう にしてください。
心よりわたしの至らない罪をおわびしますとともに、あなたのご加護をおねがい申します。
第八章 回向文
至心に回向す 至善に在ます如来よ。われらはかつて、心くらくして、如来のましますことをしらざりき。しかるに、如来の大悲招喚のみ声におどろきて、至心に如来に帰依し奉れり。願わくは、われらを、無限のひかりの中に、永遠のいのちを与えたまえ。また、ねがわくは、上は如来のみめぐみをこうむり、下はすべての同胞にみめぐみをわかつことをえしめよ。また、われらを悪魔の誘惑(いざない)よりさけて、聖(きよ)き道に向上(すす)むことを得しめよ。また、聖意(みむね)を世の同胞(はらから)に知らしめて、聖きみ光の中に、共に安寧(やすき)を得んことを、こいねがい奉る。
あらゆるお徳をおそなえになっておいでになる如来様よ。
わたくしたちは、今まで、心がくもっていて、眼にみえぬ世界にあなたがおいでになることに気がつきませんでした。あなたの大慈悲の火が、わたくしの心にもえうつり、あなたのおよび声にめざめさせていただき、心から如来様をおしたい申す身とならしていただきました。
どうぞ、この私に天地の大生命の中にいることを忘れず、永遠のいのちをよろこばしていただけるようなくらしをさせてください。
また、わたくし自身、如来様のみめぐみを感謝して日暮しするだけでなく、すべての人々にあなたのみめぐみの尊いことをわかち与えられるようにさせていただきとう存じます。
また、ともすると道をふみあやまり、よこしまなおこないを平気でするようなわたくしの心をいましめて、きよらかな道にすすめるようにさせてください。また、あなたの大慈悲心をひとりでも多くの人たちにしらせて、きよらかなくらしの中に、ともどもにやすらかなくらしができますよう心から念じ申しあげます。